21世紀の資本 トマ・ピケティ(著)
平等な競争社会の実現に向けて私たち個人ができること
「21世紀の資本」のトマ・ピケティが来日して、日本でもますます「格差」や「不平等」や「富の再配分」の議論が脚光を浴びてますよね。
600ページに及ぶ専門書が世界中でベストセラーになって議論が活発になるのは、それだけ皆が興味のある内容だし、これほど意見が別れる議題はないと思います。
家の本棚には格差や不平等を扱った本が4冊入っていて(探せばもっとあるかも)、あえてピケティの外側から改めて考えてみました。
まずは、
■ヤバイ経営学
新しい取締役を任命するのは、その会社の経営者。「エサをくれる飼い主の手を噛むものではない」と考えれば、恩人である経営者に対して、素晴らしい報酬を与えることで、恩を返そうとする。と、仲良し取締役会の報酬の決定基準は、恣意・縁故によるものだと様々なデータをもとに厳しく否定しています。
一方、
■世界でいちばん大切にしたい会社─コンシャス・カンパニー
ホールフーズ・マーケット(NASDAQ上場企業)では、役員の報酬が全社員の平均の19倍を越えないという上限を設けている。
金銭を超えた「目的」「存在意義」「意識の高さ」が長期的な経済成長を生む、と主張しています。
しかし、日本では日産のカルロス・ゴーン社長が年収10億、社員平均が766万円だからその差は130倍。ゴーン社長いわく、「他社と比べれば高くない」それもそのはず、米国では、400倍~500倍の会社がザラ。
そこで、
■これからの「正義」の話をしよう─いまを生き延びるための哲学
「マイケル・ジョーダンの年俸は適切?」「自然災害の直後の便乗値上げは悪徳?」「リーマン・ショックへの救済措置への反発はなぜ?」と、興味深い問いが並びますがつまるところ、正義の議論は正解なんかない。だからこそ、孤独な作業ではなく、社会全体で取り組むべきものである。という主張です。
しかし、
■世界の99%を貧困にする経済
機会均等の地にいる以上、貧困者が文句をいうべき相手は自分しかいないのか?
断じて違う。
「お金を払える人々のための正義」「大衆の認識はどのように操作されるのか」の章で論じられていることは、権力のある人が自分の利益になるようなやり方で討論の枠組みを作る(作ってきた)ということです。
「成功」の反対は「失敗」ではなく、「挑戦しないこと」という言葉があります。(※失敗を繰り返すことで成功につながるからある意味では同義語なんだとか。)
格差の議論は、単なる「勝ち組」「負け組」で終わらせてしまうのはもったいない。ピケティもスティグリッツも、「平等な競争」の上での格差は歓迎しています。
では、「平等な競争」の反対は?それは(不平等ではなく)、恣意・縁故と考えることもできるし、権利の剥奪・無力化もそう。(※このように何を対義語に置くかでその次に行うべきことが変わってきますよね。)
そこで、私が選ぶとしたら「幻滅による無関心」です。
民主党の政権交代であれほど盛り上がった選挙が、ここ2回の投票率は戦後最低水準なのは「幻滅による無関心」が原因ではないでしょうか。
権力者や産業団体が自分の有利な政党に投票し、幻滅した大衆は選挙に行く足が遠のく。そして、格差はさらに広がっていく。これは決して大げさなことではなく、「世界の99%を貧困にする経済」の第5章で詳しく論じられています。
選挙はほんの一例で、社内の会議であっても、マンションの理事会であっても、PTAであっても、声の大きい人の意見が通り、大多数は反対もなければ関心もない、それじゃいけないと思うのです。
完全な世界なんてあり得ないし、今の不平等はむしろ当たり前。そのような中で、思考をやめないこと、疑いを忘れないこと、議論を怠らないこと、を心がけていきたい。
これが個人でできる「幻滅による無関心」の絶対的な対策であり、それにより、「たくさんの議論」を生み、「平等な競争」が達成されると信じたいと思います。
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